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朝日新聞・朝日新聞デジタル|更新|2015/05/20

マタギって何?

 秋田県北部の山あいの集落(しゅうらく)に住み、クマやカモシカなど野生(やせい)の鳥獣(ちょうじゅう)を獲物(えもの)として捕(と)らえる生活を続けた「阿仁(あに)マタギ」の狩猟(しゅりょう)用具が、国の重要有形民俗文化財(じゅうようゆうけいみんぞくぶんかざい)に指定されることになりました。「マタギ」とは、どのような人々の集まりで、どのような暮らしをしてきたのでしょう。

 


●狩りのプロ、5~30人で行動

 マタギは、東北地方など東日本の山に分け入り、狩猟活動でおもに生計(せいけい)を立てる人たちを指す。「阿仁」は秋田県北秋田市の森吉山(もりよしざん)(標高1454メートル)のふもとに広がる地名(阿仁地区)で、「マタギ発祥(はっしょう)の地」とされている。地区の「打当(うっとう)」「比立内(ひたちない)」「根子(ねっこ)」は阿仁マタギが暮らす代表的な集落だ。

 

 高度成長期の1970年ごろの調査では、3集落でマタギが50人ほど確認されているが、その後は減(へ)る傾向(けいこう)にある。


 そもそもマタギとは、どんな意味の言葉なのだろう。

 

 江戸時代に東北各地を渡り歩いた紀行家(きこうか)の菅江(すがえ)真澄(ますみ)(1754~1829)は、山に入り、マダ(シナノキ)の樹皮(じゅひ)をはぐ「マダハギ」と呼ばれる人々の呼び名が変化したと推測(すいそく)した。しかし、山々を「またいで」狩猟をしていたことから名が付いたとする言い伝えもある。

 

 マタギは古くから伝わる独特(どくとく)な方法で山に入る。ふつうは5~30人単位でいっしょに行動する集団猟(しゅうだんりょう)が基本だ。狩りの経験が豊かで、山では山の生態(せいたい)を知り尽(つ)くす「シカリ」(リーダー)が指示を出す。狩り小屋で寝泊(ねとま)まりしながら、クマやカモシカなど大型動物のほか、タヌキや野ウサギなどの小動物を追った。岩手、山形、福島など隣(となり)の県や遠く新潟にも出かけた。

 

 クマの場合、見張(みは)り役「ムカイマッテ」、狙撃(そげき)役「ブッパ」、獲物を追いかける「セコ」で役割を分担(ぶんたん)する。ムカイマッテの合図でセコが大声でクマを追い、ブッパが仕留(しと)める。

 

 捕まえた獲物は仲間で平等(びょうどう)に分ける。とくにクマは肉だけでなく、臓器(ぞうき)や骨(ほね)はすりつぶして薬にするなど、余(あま)すところなく利用する。胆嚢(たんのう)を乾燥(かんそう)させた「クマノイ」は大切にされた。

 

 こうした山に生きるマタギは、古くから多くの人々を引きつけてきた。岩手県出身の童話(どうわ)作家宮沢賢治(みやざわけんじ)(1896~1933)の著作「なめとこ山の熊(くま)」で、クマの言葉がわかり、クマに好かれるクマ捕り名人の主人公「小十郎」のモデルは、マタギとされている。

 

●恵みの山を深く信仰

 後世に伝えるべき貴重(きちょう)な文化財として、国が今回指定するのは、阿仁マタギが実際に使っていた狩猟用具の数々だ。


 猟銃(りょうじゅう)や「タテ」など武具72点▽「キガワ」「テッキャァシ」という毛皮など衣類99点▽行商(ぎょうしょう)のときに使う用具24点など293点に上る。


 指定後、地元の北秋田市は、用具を持っているマタギの子孫の了解(りょうかい)を得て、ひとまとめにして管理する予定で、マタギ文化を広く知らせる考えだ。


 文化をあとの時代に伝え、残していくためには「もの」の保存だけでは足りない。


 1959年に狩猟用具を「県有形民俗文化財」に指定していた秋田県教育委員会は2005年度から07年度にかけてマタギを訪ね歩き、報告書をまとめた。マタギの生き様(ざま)を伝えようという思いからだ。


 恵(めぐ)みの山を「神さま」にたとえ、山に入る前に水で体を清めた。クマを解体するときには、成仏(じょうぶつ)を祈(いの)る儀式(ぎしき)「ケボカイ」を営(いとな)み、頭を北に向けたクマの体に塩を振(ふ)り、呪文(じゅもん)のような言葉をとなえる……。信仰(しんこう)の厚いこうしたマタギのふるまいは、自然と共生(きょうせい)してきた暮らしぶりをいまに伝える。


 人類が自然環境との共生を求められて久(ひさ)しい。山に生き、野生動物に向き合ってきたマタギ文化の歴史的な価値を認め、国の文化財にしようという今回の取り組みは、狩猟用具や記憶(きおく)が散らばり、失われてしまうのを防ぐだけでなく、荒れていっている地方の山々を見つめ直す良い機会になる。(松崎敏朗)

 

(朝日新聞 2013年2月9日掲載)