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朝日新聞・朝日新聞デジタル|更新|2015/08/09

戦後70年 猫 供出逃れ抱いて逃げたが /北海道

猫との思い出を語る飛野涼子さん=北海道新ひだか町
猫との思い出を語る飛野涼子さん=北海道新ひだか町

飛野涼子さん(75)=北海道新ひだか町

 両親は戦時中、旧静内町(現新ひだか町)で畑を耕し、ジャガイモやトウモロコシ、大豆などを作って自給自足の生活をしていました。近くの漁村から魚を売りに来る人がいたので、野菜と交換してもらっていました。

 我が家には、たくさんの動物が暮らしていました。家畜の馬や牛、ヤギ、ニワトリ。犬や猫もいました。

 犬や猫はペットではありません。当時、学齢前だった私も家の手伝いをしたように、犬や猫にも「仕事」がありました。

 犬は番犬。ニワトリを狙うキツネを見張ります。猫はネズミ捕りに大活躍しました。ネズミを捕ると、必ず母に見せにくるんです。母が「えらいね」とほめると、隅のほうに移動して獲物を満足そうに食べていました。

 猫の世話は、私と1歳下の妹の役目。世話といっても、残飯のエサを与えるぐらいです。我が家には2匹いて、白い猫の「シロ」とトラ猫の「トラ」。私はシロの担当でした。

 トラは家の柱を伝って天井まで登るような活発な猫でしたが、シロはおとなしくてやさしい性格でした。寒い冬の晩は、シロが布団の中の足元にそっと入ってきて、いつも一緒に丸まって寝ました。湯たんぽ代わりです。


 昭和18年(1943年)の夏ぐらいだったでしょうか。役場から「猫を供出するように」と、はがきが届いたのです。あらかじめ、供出の日時が指定されていたので、妹と相談して猫を抱いて逃げることにしました。

 私が4歳で、妹が3歳だったと思います。家から歩いて10分ほどの林の中に隠れました。シロもトラも事情が分かっていないので、逃げたくて暴れます。2時間は身を潜めていました。抱っこし続けるのも一苦労で、顔や腕をひっかかれて傷だらけになりました。

 母には言っていませんでしたが、私たちが猫を抱いて逃げたことを知っていたと思います。猫を連れていくために来た役場の人にはうまくとぼけてくれたようで、作戦は見事に成功しました。2回目に供出通告があったときにも、同じようにして免れました。


 でも、3回目は、事前の通告がありませんでした。突然、役場の人が来て、シロとトラを連れて行ってしまったのです。私も妹も、連れていかれるところは見ていません。「シベリアの兵隊さんの帽子やオーバーの内側に猫の皮を張る」と大人たちから聞かされました。悲しかったけれど、あっけない幕切れでした。

 その後、父が宝物にしていた馬も供出で取られ、翌年には父が出征しました。父は戦後、無事に復員してくれました。でも、供出した猫と馬は戻ってくるはずもありません。

 戦時中の貧しい時代。猫も馬も、私たちの家族の一員でした。戦争は、家族を引き裂きました。戦争だから仕方ない、と当時は考えたかもしれません。でも、平凡な人たちの生活がぐちゃぐちゃにされるのが戦争だと、いまでは実感できます。
(滝沢隆史)

戦時下の動物の供出

馬や犬が軍用として出陣したほか、猫やハト、ウサギなども供出の対象になった。戦中や戦後の国民の暮らしにかかわる展示をしている国立博物館「昭和館」(東京都千代田区)によると、ハトは伝令用の軍用バトとして、ウサギは防寒用の毛皮や食肉などに使うため、ともに飼育が奨励されたという。犬も毛皮などに使用されたことがあったとされる。

(朝日新聞2015年8月6日掲載)