角田光代&トト 猫という存在が、私を変えて、救ってくれた

人生で初めて飼うことになった猫。自然と、角田家に入り込んできた。心臓病に泣き、寝息に至福を覚える。いつしか、救われている自分に気づいた。

 

文/太田匡彦 撮影/大嶋千尋  


 

 今日も一日きみを見てた。


 角田光代さんが、人生で初めて飼った猫トトについてつづったエッセー集に、つけたタイトル──。


 もし、こんなことが言えれば、それはペットを飼う人にとって理想の暮らしだろう。でも実際には、人間の側の事情で、なかなかそんな日々はおとずれない。だからこそかえって、そうありたいといつも思う……。


 角田さんのトトへの愛情が、このタイトルからはあふれだしているようだ。


 トトは、アメリカンショートヘアのメス。現在、5歳。2010年1月6日、漫画家の西原理恵子さんが飼う猫が産んだ瞬間から、角田家にやってくる運命になっていた。角田さんとトトとの「出会い」は、08年にまでさかのぼる。


「08年にある仕事で西原さんとご一緒したとき、西原さんから『うちの猫が子どもを産んだら、ほしい?』と聞かれ、『ほしいです!』と即答してました。本当に来たらどうしよう、というのはその後に考えました。私が何か決断をしたのではなく、自然と向こうからやってきた、という感じです」


 角田家の暮らしのなかにも、生後3カ月でやってきたトトは自然と入り込んできた。来てすぐにトイレでおしっこをし、その日の夜から角田さんの枕に頭を置いて寝たという。

 

 

「街中で暮らす猫が目に入り始めました。みんな耳がちょっとカットしてある。地域猫活動が行われているんですね」
「街中で暮らす猫が目に入り始めました。みんな耳がちょっとカットしてある。地域猫活動が行われているんですね」

心臓病発覚、でもこの子がいい

 家の中は、いつのまにかトト用のものであふれていった。リビングに屹きつ立りつするキャットタワー、キッチンカウンターに置かれた猫じゃらし、カウンターの下に目を転じると段ボール製の爪研ぎ、そしてテーブル上にはトト自身の抜け毛で作られた毛玉ボール……。 


「(様々な猫グッズについて)好き嫌いがすごくはっきりしているので、買うのも買わないのも賭けなんです。丸いカバーの下で電動のスティックがネズミのように動き回るおもちゃは、全く追いかけなかった。幅を取るおもちゃなのに、大失敗でした。一方で爪研ぎなんかは、前のがぼろぼろになるまで使ってくれて、いまあるのは2個目です」


 そんなトトの性格を、角田さんは「温和でおとなしい。ちょっと暗くて、天真らんまんさには欠ける(笑)」と評する。


 何かを倒したり、落としたりなどは絶対にせず、モノがあっても踏まずによけて通る。ちゃんと向き合って、目を合わせながら人間が動かさないと、おもちゃで遊んでくれない。留守番が長いと、玄関にじっとりと座って待っている。


「留守番中に熟睡しちゃっているパターンもあって、そういうときは、寝ていたことをごまかすように飛び出てきます。あんまり声は出さないほうですが、ご飯を食べ終えてさらにおやつがほしいときは、キッチンのほうに隠れてちっちゃい声で『ウニャ』って要求してきます。どうもさわやかさがないんですよね、うちのは(笑)」


 実はトトは、角田家にやってきてすぐ、ふつうの猫より心臓が大きいことがわかった。最悪の場合、血栓ができて発作を起こす可能性がある病気だという。


 そのため、動物病院で検査をしてもらい、3種類の薬を飲ませるのが日課になった。太ると心臓に負担がかかるため、フードを何グラム食べ、水をどのくらい飲み、うんちを何回し、体重が何キロになったのか、毎日記録をした。激しい運動は禁物だから、遊び方も工夫をした。


 そうした日々が続いたが、最近になって状態が改善していることがわかった。心雑音が聞こえなくなり、症状の進行も見られなくなったという。


「病気だとわかって、じゃあこの子ではなく健康な猫のほうが良かったのかと考えてみると、絶対にこの子じゃなければイヤだと思う自分がいました。病気でも何でも絶対にこの子がいいというような気持ちって、それまでは知らない気持ちでした。猫ってなんなのでしょうね。不思議です」

 

言葉を持たず非力な生きものに救われた

  トトがやってきて、角田さんの内面にも大きな変化が出てきた。その変化を「考え方、ものの見え方が一方向ではなくなった」と表現する。

「猫が好きな人がいる一方で、好き過ぎて怖いくらいの雰囲気の人もいる。そうかと思うと、本当に猫が嫌いで、家の周りをペットボトルで囲っている人もいる。以前は物が単一にしか見えなかったんですね。でもたとえば猫という存在のことを考えることで、世の中には違うものの見方がたくさんあり、それぞれ決してわかりあえるようなものではないんだろうな、ということに気づきました」


 そして、40代になった自分が猫を飼い始めた意味も考えた。20代、30代のころなら、猫のために自由に動けない日がある、という暮らしは無理だったと思う。でもいまなら、猫がいるから、好きなことをしているだけではなく抑制をきかせて生活できていると、考えられる。


 著書では、「私はこの生きものに助けられた。いや、今も助けられている」と記す。


「西原さんにお会いしたころ、あのまま自分を放っておいたら、自分の精神状態はやばかった。私たち人間は、何か自分のこと以外に必死になれるものをどこかで見つけないと、生きていくことがものすごくしんどいのかもしれないと思います。保坂和志さんもエッセーでそのようなことを書かれています。私のように子どもがいない場合、自分以外の何かがたとえば猫のトトだったんです。トトによって癒やされるとか言うのとは全く違う意味で、私は、言葉を持たない自分より非力な生きものであるトトに救われました」


 夜、寝るとき、トトは必ず角田さんのほうにやってくる。横に座り、「ふみふみ」をする。のどの奥からゴロゴロという声を出し、いつの間にか眠り、時には寝言も言う。夫・河野丈洋さんのほうには一切いかず、ふみふみもしない。角田さんはこう話す。「やっぱり、私のほうに来てくれるのはうれしいですね。たぶん、私のほうが脂肪が多いせいなんですが(笑)。そして、トトの寝息を聞いている時間は、至福の時です」

 

好評発売中 「今日も一日きみを見ていた」角田光代著 KADOKAWA
好評発売中 「今日も一日きみを見ていた」角田光代著 KADOKAWA

(朝日新聞 タブロイド「sippo」(2015年6月)掲載)


角田光代 (かくた・みつよ)

かくた・みつよ/1967年生まれ。90年に作家デビュー。2005年、『対岸の彼女』で第132回直木賞を受賞。『八日目の蝉』や『紙の月』などはドラマや映画でも話題に。15年、『今日も一日きみを見てた』を出版した。

 

sippo
sippo編集部が独自に取材した記事など、オリジナルの記事です。

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