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祭りの夜、聞こえた猫の声 命を救った子猫が大きく変えた、その後の人生

幼い日の「ねこぺん」
幼い日の「ねこぺん」

 ホーヤネ、ホヤホヤホーヤネ……盆踊りの掛け声やお囃子が、少し開けた窓から聞こえてくる。2005年6月11日。金沢は年に一度の「金沢百万石まつり」でにぎわっていた。だが、証券マンの廣瀬章宏さん(当時40)は「祭りなんて気分じゃない」と家にこもっていた。


 廣瀬さんは東京出身。3カ月前に金沢に赴任したばかりだった。その日は土曜で、仕事は休みだったが、疲れ果てていた。横になってウトウトしていると、祭り囃子に混じって、どこからか「ミャ~」という高い声が聞こえてきた。

 

 (末尾に写真特集があります)


「猫の声がしないか?」。起き上がって妻に声をかけた。


 だが、妻には「聞こえないわ、気のせいじゃないの」と言われた。


 マンションの3階から階下に降りて見回してみた。だが、何もいなかった。部屋に戻ってしばらくすると、再び「ミャ~」と、窓の外から聞こえてきた。外は雨が降り出している。


「やっぱり猫の声だ。行ってくる」
「あなた本当に疲れているんじゃない?」


 心配する妻の制止を振りきって、廣瀬さんは再び階下に降り、声の主を探した。そして植え込みの中を覗いて、はっと息をのんだ。


「いた、いたよ、ほらやっぱり!」


 そこには、生まれて間もない子猫が1匹、横たわっていた。濡れて瀕死の状態だった。野良猫が生み落としたのではなく、人の手で置かれたようだった。


 廣瀬さんは子猫をポケットに入れて部屋に戻り、タオルで拭いて必死に温めた。


「こいつ死んじゃうのかな……なんのために生まれてきたんだよぉ」


 寿司に付いていた小さな醤油さしにミルクを入れて吸わせ、猫を箱に入れて自分の布団の横に置いた。何日も寝る間も惜しんで世話をした。やがて猫はペースト状のフードを食べられるまでになった……。

 

夏、扇風機の横でゴロンと涼むねこぺん
夏、扇風機の横でゴロンと涼むねこぺん

 あの時の猫は、今年6月で12歳になった。6.8キロの立派なオス猫だ。名前は「ねこぺん」とちょっと変わっている。猫を保護した廣瀬さんの様々な思いが、そこに秘められている。


「生後1カ月くらいになるまで『ねこぺん』の写真はありません。転勤が多いので、最後まで面倒を見られないかもしれない。それなら責任を持って最後まで飼ってくれる人に委ねたいと思いました。うちにいるのは、元気になるまでの間だけ。写真を残すと、後でつらくなるので撮影せず、情がわかないように名前もつけず、『ねこちゃん』と呼んでいました」


 廣瀬さんはそれまで犬や猫を飼ったことがなかった。父も転勤族で社宅暮らしが長く、母も動物が苦手。「犬猫はだめ」と幼い頃から言われて育った。だが廣瀬さんは動物好きで、捨てられた犬や猫を拾ってしまう。すると、「元の場所に置いてくるまで、家に入れませんよ」と親に言われたという。飼育した経験があるのは、小さなミドリガメだけだった。


「“ねこちゃん”の成長とともに、僕の心も変化しました。世話をすることが生きがいになり、他の人に渡すことができなくなってしまったんです。かわいくて、かわいくて」


 廣瀬さん夫妻には、子どもがいなかったこともあり、子育てをしているように感じたのだという。正式に猫を家に迎えようと決め、名前を考えようとしたが、呼び続けていた「ねこちゃん」が、いつの間にか「ねこぺん」になっていた。猫もその呼び名に一番反応したため、そのまま名前にした。


 子猫を迎えて、夫婦の会話も増えた。


「『ねこぺん』を保護するまでは、忙しくて、妻に、『飯』『風呂』くらいしか言わなかったんです。それが出先から家に電話したり、帰宅して『今日のねこぺんは?』と言うのが合言葉になって。どちらになついているか、取り合い(笑)。以前は、慣れない土地で人間関係に悩んだりしましたが、気持ちがすごく和らいでいったんです」


 金沢での勤務を終え、廣瀬さんは「ねこぺん」を連れて東京に戻った。「ねこぺん」が変えたのは、夫婦や人間関係だけではなかった。仕事への思いや夢も変わっていった。


「金沢の前に赴任した京都でも、過酷な中で生きる野良猫が多くて気になっていたんですが、『ねこぺん』を保護して、スイッチが入りました。『ねこぺん』のような猫を増やさないために、何かできるか。本を読んだり、動物愛護センターにいったり、会社が休みの日に電話相談やイベントなどのボランティアをするようになりました」

 

こんなにおおきくなりました!
こんなにおおきくなりました!

 そんな時、勤務していた証券会社が希望退職を募った。ほぼ同じ時期に、ボランティアをしていた日本動物愛護協会から職員採用への誘いが舞い込み、廣瀬さんは思い切って会社を辞めることにした。46歳の時だ。


「動物の保護活動は会社を定年してから、と思っていたんですが、運命の流れを感じたんです。両親は『名の知れた会社をなぜ途中で辞めるのか』と大反対。でも、友人たちは『向いている』と応援してくれた。妻も『好きなことをしてくれればいいのよ』と後押ししてくれて」


 現在、廣瀬さんは日本動物愛護協会の事務局次長として、不幸な犬や猫がいない世の中を目指して働いている。


「動物愛護の仕事には、やりがいがあり、やりたいことがたくさんある。とにかく不幸な動物を減らしたい。自分が子どもの頃には、犬や猫が不幸になってしまうことを知るツールがあまりなかった。だから今の小学生や中学生に、現状を知ってもらいたいたくて、啓発活動などをしています。彼らが大人になった時、犬や猫を捨てることがないような世の中にすることを目指して」

 

 だが、あの祭りの夜、なぜ、子猫の声が廣瀬さんに聞こえたのか。


「マンションの前は大音響のパレードが通る道でした。でも一度ならず二度も『ミャ~』と聞こえた。それは僕にだけ届いた、『ねこぺん』の心の声だったのか」


 廣瀬さんと出会って子猫は救われ、猫を通して廣瀬さんは人生を考え直した。


『ねこぺん』は、おとなになった今も“高い”声で鳴くそうだ。


「おなかすいたとか、起きてとか訴える。なぜだか、僕に対してだけ威張って(笑)。でも、いいんだよ『ねこぺん』。僕は家来だ。ずっと仕えるから、元気で長生きをしてね」


(藤村かおり)

 

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出典:sippo
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